身体的感覚から引き剥がされてしまった言の葉。 視覚分野に偏重したこの時代の情報に言葉を取り戻そう。

【ニコニコ超会議3 - 各ブース別】 事件 画像 話題 まとめ 【1日目】
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写真で総まとめ「ニコニコ超会議3」--12万人を魅了した濃厚な2日間
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昔受けた代ゼミの世界史で、
どんな文明も衰退する前に、文化の爛熟期を迎える、
というようなことを先生がおっしゃっていたことを折に触れて思いだす。

高校二年生の時の担任が、同僚教師の人物像を紹介する時に、
「思慮深く言葉を選び、まるで哲学者のように話す方だ」
と表現したことも思い出した。

最近見聞きする言葉は、単なる記号に成り下がったかのようだ。
もはや身体から生じるものだけではなくなっていることもあり、
言の葉は身体的感覚から引き剥がされてしまった。
視覚分野に偏重したこの時代の情報交換においては、
言葉は単に連続する文字記号の連なりであり、言霊なんてものとはとても程遠い。

「超」とか「すごい」が、
多くの形容詞、形容動詞が多様に折り重なって層をなしていた領域でそれらにとってかわった。
言葉を頭のなかで選びもしないで、勢い強く規模感を伝えられるこの言葉を安直に使ってしまう。
そう、オレも使ってしまうのだ。
国語辞典の厚みが三分の一になったとしても、おそらく現代、我々が使っている言葉を収録するには十分ではないだろうか。

会場に行ったわけでもないので、これら写真や動画から判断しただけなのだが、
すべてが幼稚化されているようなこの世界感が、
これほど大きくなっていることに恐怖を感じた。

単純な言葉
意味を失った視覚情報
漫画チックな仮想現実


痛車は自分にとってまるで理解できるものではない。
しかし、それは趣味の領域なら、人に迷惑をかけずに嗜む限り、お互いに尊重すべきだ。

だからといって政権与党が、さらには一国の首相が、
この幼児趣味的な痛車の街宣車の上にのぼって政治パフォーマンスしたということには失望の念しかない。
もちろんそれが、首相の一日の動静の中で1/24のたった一幕で、
ほんの少し顔を出した程度の重要度であったのかもしれないとも思ったが、
特設サイトや、この特別な街宣車の製作期間について考えれば、
党としてそれ相応の時間を割いて準備をしてきたことはわかる。

そこまでして彼らに媚を売りに行くのか。
いやもしかすると、そんなレベルの話ではないのかもしれない。
記号的な情報に一斉歓喜するこの会場の聴衆を前に、
大歓声をうけ、観衆に拳を突き上げて熱弁を振るう総理大臣の姿を見ると、
これは人気取りではなく、
大衆操作の実験であり、大衆扇動計画の一幕なのではないかという気すらしてきた。


「REAL」

「REAL」はきっと想像以上に厳しい。
自分の身体が傷つけられた痛みで目が覚める頃には、
悲しみ、苦しみ、絶望感らの想像を超えた大群に取り囲まれてもう逃げ出せなくなっているだろう。


言の葉を身体に取り戻していかなくてはならない。
そうして、五感を働かせ、想像力を働かせ、思慮深く言葉を紡いでいこう。
一人ひとりの姿勢のあり方こそが、この社会の根幹だから。


taro "ANTI-WAR" hasumi

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